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コンクールは現代社会における商業主義の象徴的存在のように思えます。

コンクールによってお金が動き、門下から入賞者を輩出した指導者には箔がつきます。

指導者賞なるものが設けられているコンクールも存在します。

指導者はそのような肩書欲しさに、コンクールに躍起になる。

結果、コンクールが目的化してしまうのでしょう。

それは、指導者が自らのビジネスのために子どもを利用しているだけ、と感じてしまうのです。

指導者のために生徒がいるのではなく、生徒のために指導者がいるのです。

コンクールの会場内は、ピリピリした空気が漂います。

子ども同士、親同士、指導者同士が火花を散らします。

ライバルの演奏に一喜一憂し、時には子どもたちが客席でライバルの点数をつけている光景もあると聞きます。

 

音楽って、それで良いのでしょうか・・・?

親御さんも、そんなことをするために音楽を習わせたのではないと思うのです。

音楽を学ぶことで美しい情緒を培い、心を豊かにしていくものだと思うのですが、コンクールはそれとは逆行してしまっているという気がしてなりません。

人にやさしくするとか、人を思いやることも音楽に大切なことなのです。

また、コンクールが原因で悩みを抱えてしまった人、精神を病んでしまった人もいるようです。

やはりコンクールは得るものよりも失うものの方が多いと言わざるを得ません。

だから私は生徒にコンクールを受けさせることに、前向きになれないのです。

 

※参考まで・・・

 

音楽と競争」​
 

​「肩書きより中身を

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